七人目

まずは彼について説明がいるだろう。彼はアメリカ・大リーグのとあるチームの選手だ。アフリカ出身だが、日本語が達者で (ただし、どこかズレているところがある)、そのキャラクター性から日本のお茶の間でも人気である。僕たち一家は彼とは家族ぐるみの付き合いがあり、お互いの家に遊びに行くなどしょっちゅうだった。しかし、最近は彼の方が忙しく、会いたくてもなかなか会えないという状況が続いていた。

その日、僕たちは久しぶりに彼の家へと招待されていた。今日は彼の誕生日なので、みんなでパーティーをしようというわけだ。といっても、今日も彼には試合があるので、試合が終わるまでは彼の家で待つことになった。彼の家はスタジアムに併設してあるチームの寮の一室で、少し特殊な構造になっている。奥の部屋はスタジアムと繋がっていて、選手たちは簡単に、そして素早く行き来できるようになっているのだ。彼はせっかくだからとスタジアムで観戦することを勧めたが、僕たちは彼の家のテレビで観戦しながら彼を待つことにした。

事件は、彼が打席に入った時に起こった。彼がバットを振りかぶったその瞬間、観客が、チームメイトが、あまつさえ敵チームまでもが『Happy Birthday To You』を合唱し始めたのである。彼は本当に驚いたようだった。彼は見るからにうろたえ、あたりを見回したかと思うと、何を考えたか、突然走り出してベンチの奥へと消えてしまった。その場にいた誰もが何が起こったのかを理解できず、スタジアムはシンと静まり返った。

例に漏れず、テレビで観戦していた僕たちも呆気に取られていた。そんな時、突然奥の部屋から物音がしたので覗いてみると、今まさに彼が戻ってきたところだった (もちろんユニフォーム姿のままで)。僕たちは彼に説明を求めたが、彼は「あれはいけない、あれはいけない」と繰り返すばかりで、全く話にならなかった (どうやら、かなり興奮しているようだった)。僕はなんとかして彼の興奮を静めようとした。そして、根気よく彼との話を続けた結果、(かなり時間はかかってしまったが) 彼の興奮は収まったようだった。続いて、僕は彼にスタジアムに戻るように促した。彼も、突然飛び出してきたのはまずかったと反省し、戻ることに同意した。

彼と一緒にスタジアムに戻ると、スタジアムは彼が飛びだしてきた時とは別の理由で静寂に包まれていた。照明は落とされ、観客は全員が帰った後だった。もちろん、チームメイトも、敵チームも一人もいなかった。スタジアムの掃除をする人さえも、既にその仕事を終えた後だった。ドアを開けたり、シャッターを叩いたりしつつ「本当にみんないないの?これもドッキリとかじゃなくて?」とおどけてみせる彼だったが、その背中は少し寂しく見えた。

すると、突然後ろから彼を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、そこには一人の (少し老けた感じの) 男が立っていた。二人は流暢な英語で話しているのでよく意味が取れないが、どうやら男はチームの偉い人 (監督?オーナー?よくわからない) のようだった。二人の会話は、はたから見ていると、まるで男が彼を諭しているような様子だった (そして、実際にそうなのだろうと僕は思った)。

二人は話を終えると、彼の家へと歩き始めた。どうやら、この後は男と一緒に行動することになるらしい。男は「今度は逃げ出さないように俺が見ておいてやるよ」と冗談を言っていたが、彼は苦笑いするだけだった。

彼の家に戻ると、僕はすぐに出かけるための準備をし、玄関へと向かった。が、なぜか自分の靴が見当たらない。しかし、僕が一番先に玄関へと来てしまったので、ここで詰まると他のみんなも詰まってしまう。そのため、僕は一旦玄関脇の部屋へ行き、みんなを先に行かせてからゆっくり靴を探そうと考えた。最後に男が出て行ったあと、ふと奥の部屋の方を見ると、電気が点けっぱなしになっていることに気が付いた。いくら金があるとはいえ、電気を点けっぱなしにするのはよくないな。そう考えた僕は、電気を消しに奥の部屋へと戻った。すると、さらに奥の風呂場の電気もまた点けっぱなしだった。やれやれ、とため息をつきながら二つの電気を消し、玄関へと戻り、再び靴を探し始めた。

しかし、その時、おかしなことに気が付いた。ここに並んでいるたくさんの靴は、どれも僕が過去に履いたものではないか?その証拠に、靴のサイズはまちまちだが、全てが今のサイズより小さい。一体なぜ、これらの靴がこんなところにあるのか?そして、肝心の『今の』靴は見当たらない・・・。僕は何が起こっているのかをみんなに聞こうと、何も履かずに彼の家を飛び出した。が、みんなは既にエレベータで降りてしまったのか、既に廊下にはいなかった。仕方がなく、もう一度部屋へと戻って探したが、やはり靴は見当たらない。その時、ふと風を感じたのでドアの方を見てみると、ドアがロックされていなかったのか、ドアが少しずつ開こうとしていた。僕は精一杯の力でドアを引いたが、もう少し・・・というところで、どうしてもドアが閉まらない。

そうしてドアと格闘していると、近くの階段を上ってくる女、続いて男の姿が見えた。女は階段を上りきったところで後ろを振り返り、男の姿を確認すると、ひいっと短い悲鳴をあげた。そして辺りを見渡すと、僕の方へと駆け出してきた (内心、来るなと思っていたにも関わらず)。男はゆっくりと近づいてくる。女は焦った表情でチャイムを何回も鳴らした (ドアが少しだけ開いていることには気づいていないようだ)。さすがにこの状況で無視するわけにはいかないので、ドアを開けて女を引っ張り部屋の中へ入れると、急いでドアを閉めようとした。しかし、相変わらずドアは閉まろうとはしなかった。女は僕の影に隠れ、ただガタガタと震えていた。そして男はゆっくりと、しかし着実にドアへと近づいてきていた。