その日は前日から家で友人と遊んでいた。朝になって友人が帰ったところで、僕は学校へと向かった。しかし階段を少し下りたところで今日はとても寒いことに気が付き、一度家に戻りジャンパーを羽織った。そしていつも通りの道をいつも通りに歩き、N小学校へと着いた。みんなは既に校庭に集まっていたが、いつも通りの様子で何も責めなかった。ただ、一人だけ心配そうに声をかけてきた人物がいた。
はっきり言って、僕は平均と比べれば突出している。一言で言い表すなら「秀才」だろう。平均より劣っているのは運動神経くらいのものだ。だが、僕という存在は決して特別なものではない。なぜなら、僕の通っている学校には8人もの「本物の天才」がいたからだ。彼らと僕は比較することが間違いであり、その能力は同年代はおろか、身体能力を除けば大人すら軽く凌駕している。そのためか、彼らは学校の中でも少し浮いた存在であり、いつも8人で行動していた。ただ、その中に一人だけ僕に積極的に話しかけてくる男がいた。丸顔の彼はとても気さくで、とても対外的で、そして誰にでも好かれる性質だったので、彼以外の7人と他の生徒との橋渡し的存在だった。彼以外の7人は他人への関心を全く示さなかったが、彼だけはそうではなかった。そしてこの手の人物として多分に漏れず仕切り屋だったので、8人のリーダー的存在でもあるようだった。
当然のことながら声をかけてきたのは丸顔の彼だった。僕は遅刻した原因が特定できるものではなかったため、特に理由がなく遅刻したことを告げた。彼は納得ができないという顔をしていたが、僕が黙っているのをみると諦めてみんなを集めだした。そこで初めて気が付いたのだけが、なんと僕以外にはあの8人の姿しか見えないのだ。他のみんなはどうしたのだろう？呼ばれていないのか？そういえば、今日は休日だったはずだ。いや、もしかしたら他のみんななんてものは最初からいなかったのかもしれない。僕は、別の人間の記憶が何らかの理由で混ざったか、気が狂ったか、もしくは両方かなどと考えていた。当然、彼の話など聞こえていなかった。
すると突然、彼を先頭にみんながトラックを走り始めた。話を聞いていなかったために意図が掴めなかった僕は戸惑ったが、すぐに彼らを追いかけた。だが、人より運動神経の鈍い僕に引き換え、彼らは人並みかそれ以上のものをもっていたため、いつまでも追いつくことはできなかった。こんな時、いつもなら彼が僕に気を使ってスピードを緩めたものだが、今日に限ってそれがないところをみると、どうやらさっきの僕の態度が気に入らなかったようだ。彼は自分の気持ちを言葉にしない代わりに率直に態度で表す。そんな彼の性格を嫌う人もいたが、僕はわかりやすくて便利だな、くらいに思っていた。
結局、僕は彼らに追いつくことはできなかった。幸い、この運動は1周で終わったようだ。僕がゴールまでたどり着いた頃には、彼らはめいめいに立ったり座ったりしていた。するとそこへ先生がやって来た。先生はすぐにみんなを集めると、驚くべきことを話し始めた。君たちは実は両親だと信じている二人から生まれたのではなく、既に存在する天才と呼ばれる人たちの遺伝子をコピーして生まれたというのだ。すると校舎からぞろぞろと何人かの大人が出てきた。どうやら彼らがオリジナル、ということらしい。なるほど、確かにその大人たちは僕たちの誰かしらに瓜二つだ。しかし、僕は何かしらの違和感を感じていた。その証拠に、僕にそっくりな大人はいつまでも現れなかった。
ふと見ると、丸顔の彼にも相手がいないようだった。僕は何かおかしくないか、と彼に小声で話し掛けてみた。だが、彼の返事はなかった。その時ちょうど彼にそっくりな大人を彼が見つけたところだったからだ。結局、僕のもとには誰も来なかった。僕は天才の遺伝子から生まれたのではなく、僕の両親から生まれた、ということだったのだろう。それは喜ぶべきことかもしれないが、その時は僕と彼らの間にある越えられない溝を見せつけられたようで、ただただ悲しかった。
気づくと、彼らはペアでトラックを逆方向に歩いていた。どうやら何か話しているようだが、距離があるので何も聞こえないし、聞こえたとしても理解はできないだろう。ただ、珍しくとても楽しそうに話している彼らを見て、自分という存在がとても惨めなものに思えてきた。そんな時、ぼうっと立ち尽くしている自分に声をかけてきた人がいた。振り向くと、そこにいたのは白衣を着た女性だった。彼女は僕を知っているようだったが、当然ながら僕は彼女を知らなかった。怪訝な顔をしていると、彼女は僕に話しかけながらゆっくりと歩き始めた。仕方がなく僕も一緒に歩くと、彼女はとても喜んだように見えた。彼女は僕に色々なことを話した。僕が彼らとは違う意味で特別な存在だ、と言いたかったらしいが、彼らのような理解力をもたなかった僕にはほとんど理解できなかった。彼女にそれを告げると、彼女は笑いながらそれでもいい、と言った。
いつの間にか商店街を歩いていた。まわりには忙しそうに歩き回る多くの人たち。対照的にゆっくりと歩を進めていく僕たち。彼女はまだ話を続けていた。僕は相槌を適当に打っていただけだが、彼女はそれだけで満足なようだった。そして彼女は僕を路地裏へ、路地裏へと案内していった。かがまないと通れないくらい狭いトンネルを抜けると、そこにはわけのわからない機器で埋め尽くされた部屋があった。既に人一人がやっと通れる狭さなので、彼女はずっと僕の後ろについていた。今思えば、それは僕が逃げられないようにしていたのかもしれない。そしてさらに深くへと進んでいくと、一つの鍵穴があった。彼女の方へと振り向く前に、彼女は僕に一つの鍵を差し出した。これを開けるのがあなたの仕事、と眼が語っていた。僕は無言で鍵を受け取り、そのまま鍵穴へ差し込み、右へ90度回した。何かしらの手応えを感じると、鍵穴の下にボタンがあることに気づいた。このボタンを押せばいいのだろう、と思ったので、迷うことなくボタンを押した。すると目の前の視界が開けた。が、そこには今までと同じような機器の山があった。何かがあることを期待していたので少しがっかりしたが、まだ先があるようなので先を目指して歩いた。
だが、僕はここで彼女の素振りが何かおかしいことに気づいていた。どことなくそわそわし、目も宙を泳ぎ、何か言っても聞いていなかった、もう一度言ってと聞き直してくる。何が彼女をそうさせるのか僕には理解できなかったが、それがあまりよくないことであるのは理解できた。そして完全に四つんばいにならないと通れないトンネルを通っていた時、彼女がピストルを持っているのが偶然見えた。これはいけない、と思い、彼女がトンネルを出て起き上がった隙にピストルを奪った。彼女は完全に不意を突かれたらしく、簡単にピストルを渡してくれたが、その理由については笑顔を浮かべるだけで何も話してはくれなかった。しかし、僕はそんな彼女の態度に特に不快感を感じるわけでもなく、ピストルをズボンのポケットにしまい先を目指した。そして行き止まりに着いた時、先ほどと同じような鍵穴とボタンがあった。彼女はまた無言で別の鍵を差し出した。僕もまた無言でその鍵を受け取り、鍵をまわした。ボタンを押すと何かが起こることは知っていたので、少し余裕を持って押そうかと思ったが、うっかり鍵を回した時に足をすべらしたせいでボタンを押してしまった。
その瞬間、部屋がガタガタと振動して、部屋ごと宙に浮いたような感覚を覚えた。いや、実際に部屋は浮いていたのだ。部屋はどんどん上昇し、大気圏を突破し、月へと着陸した。突然の展開にどうリアクションをとればいいのかわからず、僕は固まっていた。僕は彼女の方へ振り向き彼女の意見を仰いだが、彼女は何も答えなかったので、僕は僕の判断で先ほどと同じ行動をとった。すると部屋は同じように上昇し、また着陸した。2回目の着陸は1回目よりも衝撃が強かったので、着陸した時に大きく姿勢を崩したが、なんとか倒れずに持ちこたえた。そして外へ出ると、そこには彼ら8人が待っていた。もちろん、8人の中には丸顔の彼もいた。だが、なぜか彼らは40歳ほど歳をとっていた。そして彼らは口々に話し掛けたが、同時に話しかけてきたために何を言いたいのか全く理解できなかった。ただ一つわかったのは、僕の存在は彼らの間で何か特別な意味を持っているようだ、ということだけだった。