六人目

山の中を散策していたら、鼠の穴を見つけた。穴を見つけたら、次にやることは決まっている。穴の主が出てくるのを待つか、戻ってくるのを待つか、だ。そうして数分が経ったところ、鼠が穴から出てきた。僕は後ろからサッと飛びかかり、鼠の尻尾の根元をぐいと掴んだ。やつらには不思議な習性があって、ここを掴まれると体がピンと緊張して動かなくなる。さて、捕まえた鼠はそのまま焼いて食べてもうまいのだが、鼠は××××に指定されているので、警察署で処理してもらわなければならない。僕は止めておいた自転車に乗ると、警察署を目指して漕ぎ始めた。もちろん、左手には鼠を持ったまま。

警察署へ向かう途中、人がぞろぞろと歩いている光景を見た。駅だ。きっと、電車が着いたばかりなのだろう。慎重に人を避けながら自転車を漕いでいると、見知った顔が目に入った。向こうもこちらに気づいたようで、どちらからともなく声をかけた。

「やあ殿下」「よお」

(どんな会話が交わされたのか思い出せない)

「ところで、昼飯まだだろ?SOA と一緒に松屋に行こうと思っているんだが」
「松屋かあ。うーん、今日はどちらかというと○×△□って気分だったんだけど・・・徒歩だとちょっと遠いしなあ」
「どうする?」
「うん、じゃあご一緒させてもらうことにするよ。でも、まずはこいつ (左手を振りながら) を何とかしなきゃね」

「30分後にまた会おう」

久しぶりに会った SOA は、だいぶやつれたようだった。一体何があったのだろうと思ったが、僕は時間に遅れないように、すぐに彼らと別れた (後で聞けばいいさ)。後で落ち合う予定の松屋の前を通りすぎると、警察署へ向かって一直線に走った。テニスコートの脇を抜け、スクランブル交差点 (ここは五叉路だか六叉路となっていて、まさにスクランブルといった様相だ) を抜け、街道を抜けたらすぐにそこは警察署だ。

警察署での用事はすぐに済んだ。簡単な書類に簡単なサインをして、自分の順番が来たら担当者に渡すだけだ。5分もかからなかった。しかし、そこでふともう一つの用事を思い出した。僕は自転車を警察署の駐輪場に止めたまま、すぐ隣の大学へと徒歩で向かった。

今日は休日だ。いつもなら人がたくさんいるこの場所も、こんな日はひっそりとしている。僕は入り口から中へ入ると、左手の通路の突き当たりに人が座っているのを見つけた。体育座りをし、頭をだらしなく壁に寄りかけている。一体、何をやっているのだろう?僕は興味をもって話しかけてみた。

「こんにちは」
「・・・」
「何をしているのですか?」
「・・・ここに座っていると、落ち着くんだよ。」

彼は焦点の定まらない目 (少し笑ったように見えた) を僕に向けてそう言った。暗くて、薄汚いだけの廊下の隅が落ち着くだって?そんな馬鹿な、と思ったが、ちょうどあと一人が座れる分だけ空いているようなので、せっかくなのだから僕も隣に座ってみることにした。

「ああ・・・なるほど・・・うん・・・確かにそうだ」

思わず口に出してしまうほど、その効果はよくわかった。緑色と水色に塗られた薄汚い壁の色、薄暗く、場所によっては全く点灯すらしていない照明、隅っこの狭さ、どこまでも続いているように感じられる通路、それらのどれによるものか、あるいは全部か、それともそれ以外の何かによるものかは全くわからなかったが、確かにこの場所は僕の気分を穏やかにした。すると、次の瞬間、まるでボールに映したようにまわりの景色が歪曲し、伸びていくのを感じた。僕はとてつもなく小さくなった。

「ところで───」
「これから焼肉をするのだけど、君も一緒にどうだい?」

一体、どれだけの時間が経ったのだろう。突然、すぐ脇の扉 (それまで、開けっ放しになっていたことはおろか、その存在にすら気づいていなかった) の奥から少し年をとった男が問いかけた。僕はふと我に帰ってポケットに入れてある時計を見た。まずい、約束の時間までもうすぐだ。

「ああ、すいませんが、この後予定があるのでご遠慮させてください。また次の機会に。」
「そうか、残念だね。まあ、私たちはほとんど毎週ここで肉を焼いているから、いつでも来なさい。」

僕は申し訳なさそうな笑いを浮かべながらペコリと一礼すると、立ち上がって、この場所から立ち去ろうとした。しかし、僕はすぐに一つのことを思い出した。そうだ、僕は今デジカメを持っている。この場所を少しでもいいから、写真に収めておこう。だが、不安もあった。この場所は、写真に撮るには適さないほど薄暗かったのだ。とはいえ、僕はフラッシュを焚くのは好きではない。できるだけ明るく撮れるように、試行錯誤を繰り返しながら何枚かの写真を撮った。隣にいた男はいつの間にかいなくなっていた。

その時、怖れていたことが起こった。電池残量警告だ。ピーーーーッ、と少し長い警告音が鳴った時、僕は充電してこなかった自分のことを恨んだ。しかし、次の瞬間、全く予想もしなかった驚きが起こった。液晶の表示が突然ワイヤーフレームになったのだ。これは省電力モードか何かなのだろうか?正直な話、とても省電力しているようには見えなかったが、それは思わぬ効果を生んだ。薄暗いせいでうまくカットを決められなかったのが、ワイヤーフレームによる鮮明な絵に切り替わったので、簡単にカットを決められるようになったのだ。もちろん、ワイヤーフレームでは仕上がりはわからない。でも、今は急いでいるのだし、それでいいと思った。どうせ、素人が普通のデジカメで撮った写真など、どんなに頑張ったところでたかが知れているのだから。

しかし───しかし、この場所をどれだけ綺麗に、何枚も何十枚も、例え何百枚も写真に収めたとしても、さっきの感覚が再現できるのだろうか?きっと答えはノーだろう。そうわかっていても写真を撮らずにいられなかったのは、"もしかしたら" "あるいは" というかすかな希望に望みを繋ぐ、というよりも、僕の収集癖、保存癖によるものだろうと考えた。

一通り写真を撮った後、ふとさっきの部屋の中を少し覗いてみると、部屋には一面畳が敷かれ、長テーブルがいくつか並んでいて、その上にいくつかの鉄板が並び肉をジュウジュウと焼いていた。何人もの人がその長テーブルを囲んで畳の上に座り、楽しそうに会話をしていた。さっきの彼が部屋を覗きこんでいる僕に気づくと、気が変わった?という感じの笑みを浮かべてみせた。いいえ、残念ですが、と顔と手ぶりで伝えると、僕はその場を後にした。